「教育」からきている?私の性格。

おはようございます。

 

やよいです。

 

今日は「教育」と「環境」について。

その内、今の性格の根源にあると思っている「教育」について記録します。

 

私は人と関わるのが苦手。本当に。

さいころから人見知りで、いまだにそう。

そして人との交流が苦手。

1対1ならばある程度話ができるし、仲を深めることができるけれど

大勢(おそらく6・7人以上)いると、その輪には入られない。

反対意見を言うことができないし、咄嗟の反応はいつも人に合わせている。

 

 

さて、なぜ私がこんな性格になったのか。

もちろん、先天的に人見知りで人と深い関係を結ぶのができないのかもしれない。

でもどこかで、意見交換はしたいし、人と違う考えがあってもいいじゃないかと

思ってる。

 

 

それは、親から受けていた「教育」が一つの(あくまでも一つですが)要因です。

 

私の親は

「いつもにこにこしてなさい」

「いつも感謝しなさい」

「人に好かれるように生きなさい」

「世間に対して恥ずかしい行動はしないように」

「悪いことが起きたらまずは自分の行動を振り返りなさい、

それは自分に返ってきていることだから」

という躾をしていました。

 

どれも、私の今を形成していて、いまだに教育とは洗脳だなとつくづく思う。

「いつもにこにこする」以外は基本的には身についていて、

何か人と違うことをしようとするときはいつもドキドキしている。

 

「人に好かれるように生きなさい」

これが一番ネックで、もしかしたら私は勘違いして長年生きてきたかもしれないと

今は思っているのです。

「人に好かれる」=「常に同調して仲良くする」

頭の中でこう変換されているのです。

そう動くように体ができてしまっていて、

本当は違う考え方や、自分の予定があっても

基本的には賛成して同じ行動をすることが”正”だと認識している。

つい相手に好かれようとして、嫌われたくなくて、

可否の答えは別にあるのに「全然OK」にスタンスで話をしてしまうのだ。

 

でもだんだんと、外(実家には高校生までいました)での生活が長くなり

やっと「自分らしくいること」に違和感を感じなくなってきました。

 

そう思えるようになったのは、先にも述べたように今の会社の人たちのおかげです。

35歳も近いという年齢だけど、人としてここを直してほしいとか、

こうすればもっと人として成長できるとかをちゃんと教えてくれるのです。

こんな大人になってまで性格の部分を否定というか指摘されるのは、

正直恥ずかしいです。

でも、ここでは年齢は本当に関係なくて。

私より年下の部長もいれば、年上の現場の方もいる。

もちろん、それぞれが日々葛藤しながら生きているように見えます。

それが美しい。

私も頑張っていいんだなと思えるのです。

 

 

自分の考えを外に出すこと。

簡単なようで私にはとても難しいこと。

 

まずは言葉にすることができないから。

いつの間にか、意見を口にすることができないのは、

考えることを放棄しているのか

本当は思いがあるのにそこに気づかないふりをしているのか

わからなくなっています。

でも、前者ではないことを信じています。

 

 

 

こんなダメな私ですが、私のように自己肯定感が低くて

自己表現が苦手

すぐに自己嫌悪になる

思ったことが言えない

という方、悩みを聞きます!

突発的ですが1時間500円で。

(カウンセラーではないのでただ聞くだけになるかもしれません)

 

解決には至らないかもしれませんが、第3者にそういう気持ちを聞いてもらうのは

楽になるものですよね。

(私は占いとかにいってしまいます)

 

話してみようかなという方は、連絡くださいませ。

 

 

つたない文章ですが、読んでいただいてありがとうございました。

 

では今日も良い一日を。